水嶋ヒロ著 KAGEROU について
本の感想ではありません。
あまりに胡散臭いポプラ社の売り方に、出来レースだろうという思いを抱いています。
Amazonのレビューを見ていると、どこかで見たような設定ばかりで、中身も薄っぺらく、とても大賞を獲れる作品ではないという意見が多いです。
ただそんな中で、単に悪ノリで縦読みにしたり、出来レースそのものを批判しているような、
「本の感想ではない」ものが多くて残念に思います。
そういったレビューは、しっかりと本を読んだ上で内容批判、ポプラ社批判をしている方々の意見を薄っぺらくしてしまいます。
批判しているのは2ちゃんねらーとか、そういう類の人たちばかりなんだろうと水嶋ヒロファンは思うことでしょう。
レビューに関しては前にも意見を書きましたが、改めて一つ物申したい。
そこはネタを披露する場ではありません!
僕は友達が少ない(4)
レビューを見てたら、すっごいバカがいました。
すげえ突っ込みどころ満載www
本当のバカは自分のことをバカだと分かっていないという良い例ですね。
まあ人の文章けなすならば、せめて句読点くらいは使い方を覚えないといけません。
ところで個人的な感想を述べると、4巻は3巻からじわりじわりと人間関係の進展があり、
ギャグの内容は芸風化してきたものの、3巻よりはキレがあって面白かったと思います。
新キャラのマリア姉は、こんなシスターがいたら嫌だ!という人物なわけですが、さすがに下品キャラは好感が持てません…
代わりに夜空のツンデレ度がアップして、本人はひた隠しにしながらも、
小鷹への異性としての好意が表に出てきているのがかわいかったです。
単なるハーレムノベルだという辛口な感想もありますが、まあそれはそれで、現時点ではまだ作風を壊すほどではありません。
3巻を読んだときは、早くもネタ切れか?と思っていたのですが、まだまだいけそうな感じですね。
ヤフオクのデザインが変わって
めっちゃ使いにくくなった!!
カテゴリが一番下に出てくるとか、どんなだよ。
とりあえず速攻前のやつに戻して欲しい。
誰だよ、あんなデザイン採用したの。
容疑者Xの献身 ★★★
- 作者: 東野圭吾
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/08/05
- メディア: 文庫
- 購入: 36人 クリック: 219回
- この商品を含むブログ (684件) を見る
TVドラマ化もされた探偵ガリレオシリーズの長編です。
ちなみに「探偵ガリレオ」「予知夢」はその短編のシリーズですが、こちらはあまり面白くありません。
謎解きが一瞬なので、読者側が考える暇がないというか。ちょっと無理やりな感じもします。
せめて結末の一端でも想像できるような情報を与えてくれないと、ミステリーでも何でもないと思います。
「容疑者Xの献身」は、ある母娘が別れた父親を殺してしまい、それを隣人の男が助けるという内容なのですが、
見事なのは本当に最後の最後までその概要が掴めないというところ。
全ての事象が一つの犯行に結集され、とんでもない結末を迎えます。
まあ度肝を抜かれますね、ラストのどんでん返しに関しては。
ただですね、そこに至るまでが薄っぺらいというか、
読者にそれを想像させるだけの材料が欠けているというか、(よく読めばちゃんと書いてあるんだろうけど)
なんだこの事件、何が面白いんだよ、という意識で最後まで行ってしまうという欠点があります。
そういう点は、台詞の隅々までエンターテインメントで溢れたラノベ読者としては、物足りなさがあるのです。
純粋な文学ファンはどう思うか知りませんが、はっきり言うと、これよりは「神様のメモ帳」の方が上です。
そこに萌えの要素があろうとも、荒唐無稽な人物がひしめいていようとも、総合的に上回っていると思います。
言葉の正確さ、描写の細かさ、そういう点だけ見て小説を論じるべきではないんじゃないでしょうか。
読んでいるとき面白いと感じたかどうか、後にどれだけの感慨を残したか、結局それが作品の価値の全てだと思います。
手法だけに囚われてその本質が見抜けないのは、何でも一くくりにして狭義でしかジャンルを見れないからじゃないでしょうか。
ハリウッド映画は面白い、日本映画はつまらない、そう言っているのと同じですね。
クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い ★★★
- 作者: 西尾維新,竹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/04/15
- メディア: 文庫
- 購入: 6人 クリック: 275回
- この商品を含むブログ (227件) を見る
西尾維新に関してはアニメの化物語くらいしか知らないのですが、そこから受け取っていた印象と大きくは違いませんでした。
嘘つきみーくんを読んだときに、これは戯言シリーズのパクリ(オマージュ?)というレビューを見たのですが、まあそれも分かります。
主人公のキャラクターがかなり不透明で、かつ主体性や一貫性に欠ける、この点はかなり気になりました。
自分で自分のことを分かっているつもりで、実は本当に自分が何を望んでいるのかは分かっていないし、それを指摘されても答えを出そうとはしない。
「こちらも本気になれるというわけだ」というような意味深なことを言っておきながら、その直後で「行き詰った」と言ってしまうほど一貫性がない。
天才たちとの会話の中で過去読んだ小説の一文を引用したりするくせに、記憶力が悪いという描写をくどいくらいにしている。
中高生くらいの年代で、心の揺れ幅が大きい精神的に不安定な少年という設定ならまだしも、
この主人公でやるには、単に「設定が固まっていないだけ」と取られてもおかしくないです。
そしてヒロインの玖渚がライトノベル的エキセントリックキャラクターを更に3段階ほど飛び越えた異色の人物であるということが、
この本の価値を下げこそすれ、高めることは絶対にないというのも残念な点。
青い髪で天才的エンジニアであり、サヴァン的に自らの欲するところのみを為し、主人公に対して無邪気な好意を向ける。
「壊れたまーちゃん」もよっぽどですが、これは幾らなんでもあんまりだと思いますよ。
むしろ殺人事件に巻き込まれたせいで内面的に狂ってしまったという方がまだ理解の範疇に収まります。
「青い髪」というのが物語上必要不可欠でないならば、そんなオタク的要素を入れることに何のメリットがあるというのか。
「僕様ちゃん」なんていう絶対に誰も使わない一人称を用いることが、個人の特定以外に何の意味があるというのか。
そんなことだけでこれは一般的な小説とは見られないのだから、表面的な要素にしょうもない天邪鬼を発揮する必要はないと思いますね。
逆に言うと、そんな部分でしか特徴を出せないというのは、キャラ作りに関して決定的に才能が欠けているようにも思えます。
会話に関しては、確かに面白い。
全てが謎解きのようで、その全てに意味があるように見せていて、そのほとんどには根本的な意味はなく、ただの言葉遊びのようでもある。
ただ、言葉遊びこそが西尾維新の本質だとしても、さすがにそれだけでこの本を文句無く面白いというには無理があります。
色んなところに散りばめられた学問や法則のようなものは、確かにトリックと繋がりを持たせていて、
そういった知識そのものを楽しむ喜びはあるけれど、それもまた物語が面白いかどうかを判断する材料にはなりません。
例えて言うと、攻殻機動隊イノセンスの会話部分だけを無作為に切り取ったような印象。
読んでいて楽しめるけれど、この作品が面白いとは言えない。
言葉遊びの才能だけが突出していて、そこを楽しむべき作品なのは分かるんだけど、
単に繰り返したりくどい表現になっているだけの部分も多いです。
言ってしまえば、それは方法さえ分かれば誰でもできることで、才能などではなく、アイデアでしかないと取ることもできます。
捉え方は人それぞれかもしれませんが。
洗練された作品でないことは確かですね。
闇金ウシジマくん (1〜4) ★★★★
- 作者: 真鍋昌平
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2004/07/30
- メディア: コミック
- 購入: 10人 クリック: 646回
- この商品を含むブログ (213件) を見る
闇金社長のウシジマくんと、色んな理由で金を借りていく債務者を描いたお話。
基本的には、凄まじくエグイです。ウシジマくんは債務者に何の感情も抱いておらず、金を毟り取ることしか考えていません。
債務者はパチンコ狂だったり、見栄っ張りだったりして、これまた救いようの無いような人間ばかりです。
闇金自体が悪であるのは間違いないのですが、大事なことは、真っ当に生きている人間はそんなものには関わることはない、ということですね。
こういった社会の底辺を徹底的に描くことで、こんな風にはなるなよ、という毒の効いたメッセージを送っているのかもしれません。
最初の方は貸付の手口や集金の方法などを描く、1話完結形式になっています。
新人高田の成長や、闇金社員の人間臭さも随所に描かれています。
特徴的なのは、ウシジマくんが家に大量のうさぎを飼っていることですね。
なんか狙いどころがバレバレなのに、シュールすぎて笑ってしまいます。
徐々に長い話が増えてきます。
ここで語られるのは、闇金のような裏社会の商売には必ずヤクザとの切れない関係があり、
また法律や警察といったいつ来るかも分からない脅威に常に備えていないといけないということです。
ウシジマくんや高田に少しでも感情移入してしまうと、社会の正義と悪が頭の中で逆転してしまいそうです。
ゲイ編は気持ち悪いので飛ばし読みです。
もう一つ、これは街における人間関係の話とも言えます。
裏社会の人間関係もそうだし、子供の借金を肩代わりする親もそうだし、金を工面しようと知り合いに電話をかけまくるのもそうだし、
結局、上辺だけに塗り固められた関係は、金の存在でその本当の姿を露呈するということでしょうか。
そういう意味では、「岳」とはまさに対極にある作品です。
「岳」は、金では買えないような喜びを得る場所、悩んだ末に自分を見つめなおす場所として山があり、
三歩は人間社会のしがらみを全て断ち切った上で、山を媒介として、山に関わる人々と交流しています。
2作品並べて読むと、色々と感じるものがあるかもしれませんね。